アカコの備忘録。


by sarutasensei

2007年 08月 15日 ( 1 )

f0091834_1302065.jpg●吉田敏浩『反空爆の思想』(NHKブックス)

※今日もガッコウで翻訳の続き。分量的にはとりあえず半分近く訳したかな。執筆者に問い合わせないといけない箇所もたくさんあるんだけどね。

 ところでNHKブックスって、最近けっこういい本出してると思うけど、これは本当にオススメ本。

 とりわけ第3章の「日本も空爆の加害者だった時代」は必読。
 1910年代の台湾の「蕃地」に対する空からの爆弾投下を紹介した『理蕃誌稿』からの引用は、とても生々しい。
 未帰順蕃「マンタウラン」社ニ爆弾ヲスルヤ、若干ノ死傷者ヲ出シ、附近蕃人ハ一層ノ恐怖ノ念ヲ強メ、「トナ」社ノ如キハ忽チ銃器ヲ提出シテ恭順ノ意ヲ表シ、前非ヲ宥恕セラレンコトヲ哀願セリ。」(p.138)
とか、
 一旦討伐ヲ決行セラレンカ、飛行機及軍隊ハ汝等ノ如キ良蕃ト他ノ兇蕃トハ之ヲ区別スルコト困難ナレハ、自然、一兇蕃ノ為ニ附近ノ各蕃社ハ一様ニ討伐ヲ受クルモノニテ、良蕃ノ迷惑スルニ余リアリ。
(p.141)
とかね。

 それにしても爆弾落としといて、「迷惑スルニ余リアリ」ってか。軽~。
 つまり空からの高みに立って見た時に、「テロリスト」(兇蕃)と「一般」民衆(良蕃)の区別なんかできやしないないってことは、90年以上も前から分かってたんだよね。アメリカがアフガニスタンやイラクの民間人を「誤爆」した時にも、似たようなことを言うんだっけ。

 でもこうした「付随的被害」「やむをえない犠牲」は、実は「予定された死・殺人」にほかならないと著者は述べる。
 むろん、「予定された死・殺人」の宣告を受ける人命には名前もなければ、顔もない。ただ数字として扱われるだけだ。人命は数値化を通じて消耗品扱いされる。操作、コントロールの対象にされる。
(p.248)
 
 アカコがぜんぜん知らなかったのは、「ニュルンベルク裁判でも、東京裁判でも、ドイツと日本の空爆による民間人殺害の罪は問われなかった。(中略)むろん、植民地における無差別爆撃も裁かれていない」(p.264)ってこと。
 連合国側も同様に空爆を行っていたために、「戦争犯罪」や「人道に対する罪」として提起しえなかったんだって。ナ~ルホドね。

 最後にもう一箇所だけ引用。「蕃地威嚇飛行」について、空爆の歴史を調べるまではまったく知らなかったという著者は、次のように述べている。
 そのような人びとに対して、圧倒的に優位な空の上から爆弾を落とした大日本帝国とは、いったいどんな国だったのだろう。爆弾を落としたその事実を知らなかった、または知らない、自分も含めた日本人の歴史への向き合い方を、どう考えればいいのだろう。世界の多くの人びとにヒロシマ・ナガサキを知られている日本人として。(p.283)

[PR]
by sarutasensei | 2007-08-15 19:39 | 読んだ本