アカコの備忘録。


by sarutasensei

2007年 08月 07日 ( 1 )

f0091834_21361357.jpg●小林勝『朝鮮・明治五十二年』(新興書房)

※最初に小林勝の名前を知ったのは、川村湊『満洲崩壊-「大東亜文学」と作家たち』(文藝春秋)に収録された「小林勝外伝」から。
 川村の否定的な評価にもかかわらず、アカコは小林の作品をすごくおもしろく読んだ。最初に手にしたのが、この『朝鮮・明治五十二年』。すっかりコーフンして、すぐさま白川書院の『小林勝作品集』全5巻を、ネットで購入したのは、5年ぐらい前のことかな。

 表題作は、「植民地で暮らすこと」ってのはどういうことなのかを、とってもリアルに描いたもの。『聞書水俣民衆史 植民地は天国だった』(草風館)と合わせて読むと、おもしろさ倍増。

 小説だけじゃなくて、「あとがき」もすっごくいい。↓
 一九六七年、すなわち昭和四十二年、日本の財界と自民党政府は、その年を敢えて「明治百年」とよび、あわせて自分たちを、昭和維新を成立させた先人たちとひとしく見なして大いに自賛したのである。
 この「明治百年」なる虚偽概念の中での重要な特色の一つは、朝鮮・中国を中心とするアジアが完全に欠落していることであろう。つまり、明治も大正も昭和も、そして恥知らずな総称「明治百年」も、日本資本主義の発展、蹉跌、再発展の歴史も、まず、朝鮮を、そして中国をぬきにしては、まして、それらの国々とその人民に対する冷酷徹底した弾圧と収奪をぬきにしては成立しえないのである。(p.218)

 次の箇所なんか、池田浩士の文章とも響きあっているような感じがしない?なんか似たような文章を、論文で引用したことがあるなあ。
 この小説集の中には、朝鮮に長く住み、朝鮮人に直接暴力的有形の加害を加えず、親しい朝鮮人の友人を多く持ち、平和で平凡な家庭生活をいとなんだ、もしくは、いとなもうとした日本人が登場してくる。かつて、下積みの、平凡な日本人の多くがそうだったと思う。それらの人々、あるいはいまは中年に達した、それらの人々の子供たちの多くが、二十数年をへだてた今、朝鮮を懐かしがっていることも知っている。
 しかし、私は私自身にあっては、私の内なる懐かしさを拒否する。平凡、平和で無害な存在であったかのように見える「外見」をその存在の根元にさかのぼって拒否する。ことは過去としてうつろい去ったのでは決してないのである。敗戦によって、あれらの歴史と生活が断絶されたのでも決してない。その反面証拠に、政府自らが祝典をもよおし、その歴史の連続性をたたえた、例の「明治百年」認識すらあるではないか。(pp.219-220)

 この「あとがき」が執筆されたのは、1971年2月1日。それから2ヶ月もたたない3月25日、小林勝は腸閉塞のため、44歳で亡くなった。
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by sarutasensei | 2007-08-07 21:50 | 読んだ本