アカコの備忘録。


by sarutasensei

2007年 07月 30日 ( 1 )

無数のhiroshimasへ。

f0091834_22472821.jpg●東琢磨『ヒロシマ独立論』(青土社)

※こんな文章が印象的だった。
 原爆は、国民国家としての「被爆国」が経験したのではない。国家権力中枢とは遠いところにいた日本人、既にその国家の被害者であった朝鮮人、被差別部落民、また、「日本」を範と仰いでアジア諸国からやってきていた留学生たち-「国際平和都市」を目指して多くの留学生が現在も来ているが、皮肉なことに戦前は軍部であり高等師範のある日本帝国の模範的な都市としても留学生が訪れていた-、さらに「加害国」側の捕虜たち-彼らのなかには被爆後になぶり殺された者もいるという-のうえに差別なく降り注いだのだ。(p.128)
 こうの史代の『夕凪の街 桜の国』に、朝鮮人が登場しないことの意味を問う川口隆行の論文(PDF)を読んでから、ずうっと気になっていた。

 東も、『夕凪の街 桜の国』を論じた部分(pp.47-56)では、朝鮮人の不在についてはまったく言及していない。だけど、この人気マンガを読む際に、決定的に重要なポイントだとアカコは思うな。まあ、「広島のある日本のあるこの世界を/愛するすべての人へ」っていう自己愛に満ちたコピーのキショク悪さは、見て見ぬふりをするとしても。

 朝鮮人の登場しない『夕凪の街 桜の国』の受容のされ方は、「『はだしのゲン』にも明確に打ち出されている天皇の戦争責任問題及び天皇制批判や原爆投下にまつわる人種差別問題は、いつのころからか広島の反核運動の言説のなかで影を潜めていくことになる」(p.154)という指摘と、どこかでつながってるのかもしれないと思う。

 さらにいえば、作者のこうの史代が、同名の映画のための公式HPのなかで、「次世代に伝えたいこと」を尋ねられ、「美しい日本語”でしょうか。」などと、なんの屈託もなく応えてることとも、通底しているんだろうな。

 広島で被爆した多くの朝鮮人にとって(それだけではなく、大日本帝国の植民地に生まれた朝鮮人・台湾人にとって、さらには沖縄人や、おそらくは多くの九州人・東北人などにとって)、“美しい日本語”なるものが、どれだけ暴力的に機能したのかは、アカコが指摘するまでもないだろう。

 てなことをツラツラ考えてると、この本で紹介されている深川宗俊という歌人のうたが、すんごく光ってみえる。たとえばこんな2首。
パスポートに印されし菊の紋章の侵しつづくる戦後というも
連行の朝鮮人あまた爆死せる戦時工場いまに兵器造れる(p.98)

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by sarutasensei | 2007-07-30 23:38 | 読んだ本