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アカコの備忘録。


by sarutasensei
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「酋長なるもの」。

「酋長なるもの」。_f0091834_2011080.jpg●子安宣邦『日本ナショナリズムの解読』(白澤社)

※『日本近代思想批判』がおもしろかったので、ずいぶん前に買っておきながら放っておいた子安宣邦の本を読んだ。
 本居宣長とか水戸学など、アカコがぜんぜんベンキョウしていないあたりも新鮮だったけれど、福沢諭吉の『文明論之概略』論にへええと感心。
 この酋長なるもの、既に権威を得るといえども、無智の人民、反覆常なくして、これを維持すること甚だ難し。これに諭すに高尚の道理を以てすべからず、これに説くに永遠の利益を以てすべからず。その方向を一にして、共に一種族の体裁を保たんとするには、ただその天然に備わりたる恐怖と喜悦の心に依頼して、目前の禍福災幸を示すの一法あるのみ。これを君長の恩威という」(p.120)。
 子安によれば、福沢が批判して止まない「反文明的な専制的皇帝支配の国家「支那」とは天皇制国家「日本」の隠喩だとみなしうる」(p.121)のだそうな。
 そして「酋長なる者」が、「一種族の人民を視ること一家の子供の如くし、これを保護維持して、大は生殺与奪の刑罰より、小は日常家計の細事に至るまでも、君上の関わり知らざるものなし」という世界のことを、福沢は「野蛮の世」とよんでいたんだって(pp.121-122)。これって、「一視同仁」のことだよね。

 福沢以外の箇所では、「解読6 「日本民族」概念のアルケオロジー」の章が、アカコの問題関心とも重なっていておもしろかった。
 帝国日本によって再構成された「民族」概念、すなわちアジアにおける指導的日本の優越的差異化としての「民族」概念、それが「日本民族」という概念であった。「日本民族」概念を成立させるのは、十五年戦争とともに始まる昭和という時代である。 この「日本民族」はさらに王権神話に基づいて「天孫民族」として再構成される。あるいは「日本民族」概念がその内部に本源的民族としての「天孫民族」概念を生み出すというべきかもしれない。(中略)
 「天孫民族」とは、日本帝国に領有されて新たな国民となった外地住民に対して本土住民を神話的「民族」概念をもって優越的に差異化する概念である。「台湾人といひ、朝鮮人といひ、血統的にも文化的にも、まだ完全に日本民族として渾融同化されたものでないことは事実である」と書く白柳秀湖は、その日本民族の中心になる民族を「天孫民種」というのである。(中略)
 外部を包摂しながら、外部はなお外部であり続けなければならないものとしてその内部の尊厳化や絶対化が、帝国日本人の意識と言説の上で遂行されていった。国土のなかに原・国土が存在し、国語のなかに原・国語が存在し、民族のなかに原・民族が存在するのである。(pp.145-147)

by sarutasensei | 2008-07-08 20:11 | 読んだ本