「フェティシズム的な倒錯」。
2007年 06月 12日
●美馬達哉『〈病〉のスペクタクル-生権力の政治学』(人文書院)
※ずっと待ってたわりには、読み終わるのに時間かかった。でも、期待に違わず、おもしろい本だったよ。
ところで、本書のテーマとは少しズレるのかもしれないけれど、第7章の「がん恐怖症」を論じたところで、マルクスの『資本論』からフェティシズム(物神崇拝)論を引用しているところが、アカコには興味深かった。
昨日、読んだばかりの『富士』の中にも、自分のことを「ミヤ」だと信じている「虚言症患者」が、主人公にこんな手紙を残していたっけ。
そんなら、「宮様」それ自体に神聖さを見いだしてしまう××制もまた、「フェティシズム的な倒錯」ってことになるんだろうな。納得。
※ずっと待ってたわりには、読み終わるのに時間かかった。でも、期待に違わず、おもしろい本だったよ。
ところで、本書のテーマとは少しズレるのかもしれないけれど、第7章の「がん恐怖症」を論じたところで、マルクスの『資本論』からフェティシズム(物神崇拝)論を引用しているところが、アカコには興味深かった。
たとえば、ある人が王であるのは、他の人たちが彼に対して臣下としてふるまうからにすぎない。ところが逆に彼らは、彼が王であるがゆえに、自分が臣下なのだと信じるのである。(p.193)美馬は、「人間間の支配-被支配の社会的関係が、臣下にとっては、王の持つ神秘的な力に対して服従するかのように想像される」と述べ、「がん恐怖症」もまた、「がんという疾病それ自体がもつ何かの特別な性質に由来する」と「想像」する考えを「フェティシズム的な倒錯」だとして批判する。
昨日、読んだばかりの『富士』の中にも、自分のことを「ミヤ」だと信じている「虚言症患者」が、主人公にこんな手紙を残していたっけ。
「…『ミヤ』は自分が宮様であることを、他人に信じこませなければならないのだろうか。自称宮様は、それでなければ気がすまないだろう。だが真のミヤであるぼくには、そんな無意味な押しつけがましい評判とりは一切不必要なんだ。(中略)宮垣にかこまれ、休廷の中で宮臣どもに守られ、ミヤ、ミヤ、ミヤと保証されることによってしか、宮様でありつづけることができない方々の不自由さにくらべ、ぼくは限りない自由を身につけているんだからね。」(p.528)
そんなら、「宮様」それ自体に神聖さを見いだしてしまう××制もまた、「フェティシズム的な倒錯」ってことになるんだろうな。納得。
by sarutasensei
| 2007-06-12 23:54
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