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アカコの備忘録。


by sarutasensei
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絶対オススメ本。

絶対オススメ本。_f0091834_2236628.jpg●古川ちかし他編著『台湾・韓国・沖縄で日本語は何をしたのか-言語支配のもたらすもの』(三元社)

※「序章」を読んだときから良さそうな感じがしてたけど、最後まで期待を裏切らなかった論文集。
とりわけ第一部の「台湾-切断と継承」と第三部の「沖縄-継続する戦争」に収録された6本の論文が、アカコにとっては関心のあるテーマでもあったし、とってもおもしろかった。満足、満足。

 ところで戦時の沖縄方言や文化に関して、川口隆行と屋嘉比収が、こんなことを書いている。
 …方言への関心とは、よりすばらしい「標準語」=「日本語」制定のためであった。標準語/方言といった枠組みそれ自体、「日本語」という国家語を生み出す装置なのだ。大日本帝国の全体主義的イデオロギーは、多種多様な要素を吸収し、取り込むことによって、巨大な支配機構、権力システムを構築し、機能させていった。(中略)翻っていうならば、「日本語」という枠をはみださない限りにおいて、「日本語」をより豊かなものにする必須のアイテムとして、方言にせよ地方文化にせよそれらは大切に尊重され、擁護されたのだ。(川口、p.148)

 (島袋)全発は、沖縄文化が否定された総動員体制期においても、日本文化の祖型としてではあっても、沖縄文化を評価する視点はけっして手放さなかった。「日本主義」が席巻する総動員体制期という時代状況を考えてみたとき、屈折した形ではあれ、沖縄文化を評価する視点を手放さなかった島袋全発の姿勢は高く評価すべきだといえよう。戦時下で日本文化との関連以外ではことごとく沖縄文化が否定されていく情況の中で、けっして沖縄文化の独自性を評価する視点を手放さなかった全発の認識の意義を忘れてはならない。(屋嘉比、p.166)
 戦時期の「地方文化」(評価)に対するふたりの見解は、決定的に異なっていると思うけど、これって沖縄だけの問題じゃあないだろう。
 アカコの問題関心に引きつけるなら、近衛の大政翼賛運動のなかで、台湾の文化が「地方文化」として再発見されたこと。台湾人文学者が、この「お墨付き」を梃子として、自分たちの活動を「正当化」していったこと。こうしたことは柳書琴の先駆的な研究によって明らかにされたことだけれど、問題はそれをどのように意義づけるのか、っていうことだよね。

 あと一点つけ加えるならば、小熊英二が指摘したことでもあるけれど、優生学的な発想と皇民化の矛盾も、ていねいに見ていく必要がありそう。優生学に近しい人たちって、各民族文化の重視みたいな、それ自体としてはまっとうに見える発言を、けっこうしてるし。でもやっぱ、文脈が大事なんだよね。
by sarutasensei | 2007-04-11 18:54 | 読んだ本