アカコの備忘録。


by sarutasensei
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30

「無能の人」。

 昨日、引用文とはいえ、「罪を罪として認識することのできる能力」と書いた。アカコの大嫌いな言葉、「能力」。ペッペッ!こんな気色悪い言葉を躊躇なく使える神経が、アカコには分からないよ。
 「能力に応じた格差」とか、「能力主義」なんて言い回しが、そこらへんにあふれているけれど、ここでいう「能力」って、そもそも誰にとっての、どのような「能力」なのかが問われることは、ほとんどないのではないか。チマタのヒトビトは、一生懸命に「能力」を身につけようとして、満員の通勤電車に揺られながら英語の勉強をしたり、あれこれ資格をとろうとしたりと涙ぐましい努力をしているみたいだけど、そんなことで、本当に報われるんだろうか?まあ、報われない人が皆無だ、とまでは言えないだろうけど。ゴクロウサマ。
 
 でも今のニッポン社会で求められる最も重要な「能力」とは、おそらくそんなテクニカルなものよりも、「上」の者が言うことを、たとえそれが不当に思えても、コトを荒立てることなく、抑圧を「下」に移譲することで穏便に対処する「能力」のことではないのか。多くの企業で重視される「協調性」って、つまりはそういうことだよね。もっと分かりやすく言えば、アイヒマンのような「能力」/「態度」こそが、最も「有能」だということだろう。そう言う意味では、21世紀のニッポンって、ナチスとそんなに遠くない社会なんだと思う。問題をラディカルに(根本的に/過激に)考えたり、「問い」そのものを組み替えたりする「能力」は、この社会では決して求められはしない。
 被判定者の「能力」を測定し、評価づけるのは、一般的には彼らより「上」に位置する者だろう。「上」の者が下す評価に不満を抱くことは(しばしば)あるにせよ、「能力」/「態度」は測定可能であり、その結果によって被判定者の処遇を左右するのは当然だ、という「常識」は、判定者・被判定者双方に共有されている。
 
 だったらコトは明確だ。アイヒマン的な「有能さ」を目指すのか、「無能の人」を選ぶか、だ。アカコもこの商売ができなくなったら、石でも売って生計を維持したいけど…難しいだろうなあ。
f0091834_048593.jpg

[PR]
by sarutasensei | 2006-08-04 20:20 | 筆記