アカコの備忘録。


by sarutasensei
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f0091834_23212195.jpg●西澤晃彦『貧者の領域-誰が排除されているか』(河出ブックス)
 東京は、多様な人口を飲み込んだ大都市であるとともに、国家の帝都として編成されてきた。東京の都市空間は、国民になることを介して辿りつけるきらびやかな「文明」のショーケースとして仕立て上げられていった。だが、そうした均質化は、均質化されざる部分を「異質なもの」としてかえって焙り出すことになる。それゆえ、国民化は、その要件を充たさない非国民的存在の非人間化とその隠蔽の操作を伴う。非組織的・非定住的・非家族的な都市下層は、「文明」や「豊かさ」から排除され、その多くは下層労働市場に委ねられ流動化することによって空間的にも分散・隔離され隠蔽された。(p.49)
 
 この本の直後に犬養道子の『花々と星々と』(中公文庫)を読み始めたら、描かれている世界のあまりの落差に、今更ながらクラクラしたアカコなのでした。
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by sarutasensei | 2010-03-08 23:33 | 読んだ本

そういえば。

●爆笑問題・本田由紀『爆笑問題のニッポンの教養 我働く ゆえに幸あり?』(講談社)

※ごった返すジャスコの本屋で買ったんだっけ。
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by sarutasensei | 2008-12-23 22:28 | 買った本

年末に近い週末。

※TUTAYAで半額DVDを借りていたのに、忙しくって見そびれるとこだった。週末に2本連チャンで。
●小津安二郎『大人の見る繪本-生れてはみたけれど』
 やっぱり突貫小僧に目がいってしまう。1932年の作品だから、突貫小僧はきっと戦争に行ったに違いない、などと考えながら画面を眺めてた。やっぱ1942年に、ペリリュー島に送られたのね。

 もひとつは、
●川島雄三『風船

※辺見庸が『愛と痛み-死刑をめぐって』のなかで、永山則夫について、言及していたなあと思い出して。
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●見田宗介『まなざしの地獄-尽きなく生きることの社会学』(河出書房新社)
 表題論文は、35年も前に書かれたもの。だけど、ぜんぜん古さを感じさせないシャープな分析は見事。

 それにしても、N・Nが上京した1965年の中卒者の求人倍率が3.72倍。大阪万博の年には22.84倍もあったなんて。
 もちろん見田は、「金の卵」と称された彼らのことを、「雇用者たちにとって、下積みの安価な労働力として貴重品であることを示す」(p.21)ものだと指摘することを忘れてはいない。
 
 それでも60年代後半以降に、都市に流れ込んだ「これらの流入者を待っているのは、必ずしも飢餓線上の賃金ではない。すなわちこの少年たち、青年たちが、もしも単なる「新鮮な労働力」たることに甘んじようとする限り、その生理的肉体と労働力との再生産だけはとにかく保障され、やがてささやかなマイホームを営む条件も、がんばれば入手不可能ではない」(p.20)という箇所は、感慨深いものがありますねえ。
 「飢餓線上の賃金」すら得られず、「生理的肉体と労働力との再生産」すら不可能になった人間が、けっして特別な存在ではなくなったのが、35年後の現状なのだもの。

※夕方、買い物の途中で近所の本屋に行ったのに、探してた本は1冊もなし。目的外の3冊を購入。
●大澤真幸・北田暁大『歴史の〈はじまり〉』(左右社)
●坂口安吾『桜の森の満開の下・白痴 他十二篇』(岩波文庫)
●吉見俊哉『都市のドラマトゥルギー-東京・盛り場の社会史』(河出文庫)
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by sarutasensei | 2008-12-14 21:08 | 筆記
f0091834_21473651.jpg●藤本幸久『アメリカばんざい-crazy as usual』

※休日。S劇場で。映画のあとで、監督とイルコモンズのトークショーがあるというので。

 今の車の2度目の車検。こちらが車のことに疎いためでもあるけれど、ブレーキ系統でちょっと…と言われると、多少高くても部品交換せざるをえないよね。今日は「バイ・ナッシング・デイ」のはずなのに、そんなこんなで多大な出費。
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by sarutasensei | 2008-11-29 22:03 | 見た映画(など)

無題。

f0091834_0223751.jpg●『藤澤清造貧困小説集』(龜鳴屋)

※1932年、数え年44歳で凍死した藤澤清造の小説集を再読。「刈入れ時」などで頻出する奇抜な直喩が笑える。単行本の表紙は、つげ義春の「大場電気鍍金工業所」の一コマから。
 
 bk1で注文していた本が届いた。
●下村作次郎編『台湾原住民文学選 6 晴乞い祭り-散文・短編小説集』(草風館)
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by sarutasensei | 2008-11-24 00:32 | 読んだ本

籠る日。

※昨日はあちこちで歩いたので、今日は一日中、家の中で過ごす。

 前から気になっていた論文の査読をようやく終え、続いて台湾学会のオシゴト。記念シンポでしゃべったものを文章化しなければならないのだけれど、報告集に載せたものから大きくは変えようがないよなあ。文章に手を入れて読みやすくするのと、注の書式を学会報のそれに合わせるぐらいか。

 作業の合間に新刊書を読了。今日は、研究会向けのオベンキョはやらなかった。
f0091834_14351516.jpg●中西新太郎編『1995年-未了の問題圏』(大月書店)

※中島岳志との対談が、いちばんおもしろかった。この人の本、『中村屋のボース』しか読んでないけど、「サバルタン的公共性」(p.100)について論じているという『ナショナリズムと宗教』は読んでみたい。
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by sarutasensei | 2008-10-05 21:25 | 読んだ本

人間廃棄物の投棄場。

f0091834_15315886.jpg●ジグムント・バウマン『新しい貧困-労働、消費主義、ニュープア』(青土社)

※バウマンの本、買うばっかりで全然読んでいなかった。心を入れ替えて、ようやく最新刊を読了。

 「失業」という昔からある言葉が、「余剰」という新しい言い方に置き換えられる理由が、よく理解できた。
 この新しい言葉は、古い言葉と違って、間接的な意味でも比喩的な意味でも、いかなる約束も携えてはいない。(中略)一時的に仕事がなくても「雇用可能」であるとされ、いったん、通常の状態に戻り、ふたたび「正しい」状態に戻れば生産者の地位に復帰すると予想されている「失業者」とは異なり、「余剰」者はあり余っていて、余計者であり、必要とされていない。彼らは「満杯」の社会に生まれついたか、もしくは、最近の経済的・技術的な進歩によって、不必要となったのである。(中略)あらゆる実際的な狙いや目的にとって、彼らが存在しなくても経済は健全な状態に保たれるので、彼らは経済活動から排除され続けなければならない。
(pp.133-134)

 あと、「植民地化と帝国主義的な征服のもっとも根源的な意味」として、「余剰な人間」の自然な輸出先として、近代化に伴う人間廃棄物の自然で明確な投棄場の役目を担った、という指摘(p.177)が印象的。
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by sarutasensei | 2008-09-03 20:32 | 読んだ本
f0091834_857381.jpg●『フリーター論争2.0 フリーターズフリー対談集』(人文書院)

※去年の『フリーターズフリー vol.01』とは違って、今回のは対談集。
 杉田俊介と栗田隆子の発言がとってもシャープ。このふたりに比べると、雨宮処凛の発言はユルくて。
 タイトルの「マッチョな活動家」っていうのは、「支援とは何か?」という対談のなかでの、ちろるの次のような発言から。
 マッチョというのは体格が筋肉質とかじゃなくて、有能さとか強さに拘るタイプの活動家です。有能さや強さって既存の社会が人を選別したり価値づけたりするときの物差しでしょう。そういうことがモノを言う運動、そういう人に他の活動家が従っていくような運動は嫌だよねって話をしたんです。(p.149)

 そういう意味で、「若者はなぜ「生きさせろ!」と叫ぶのか?」に出てくる城繁幸は、「能力」とか「有能さ」について、いかにも「マッチョ」な発言を連発している。まあ彼のことを「活動家」だとは、誰も思わないだろうけど。
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by sarutasensei | 2008-05-22 09:36 | 読んだ本

「第四の男」。

f0091834_1636476.jpg●入江公康『眠られぬ労働者たち-新しきサンディカの思考』(青土社)

※アカコの愛読しているウラゲツ☆ブログによると、著者の入江公康は、「月刊『現代思想』で活躍してきた早稲田閥の「第四の男」」なんだそうな。
 ちなみにそれに先立つ第1~第3の男とは、酒井隆史(『自由論』)、渋谷望(『魂の労働』)、道場親信(『占領と平和』)の面々。こりゃあ壮観だわ。

 収録された論文のなかでは、「犬が野良犬になるについての労働の、あるいは戦争の役割」と「第二組合/スト破り/フレキシビリティ」が、とりわけ印象的だった。小松左京の『日本アパッチ族』とソレルの『暴力論』、読まなくてはね。
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by sarutasensei | 2008-03-14 19:39 | 読んだ本

無題。

f0091834_2122428.jpg●竹内章郎『新自由主義の噓 哲学塾』(岩波書店)

※「自己チュウ」っていうキーワードはどうかと思うけど、「市民権」と「社会権」の矛盾・対立なんか、すごく分かりやすかった。
 とりわけ第7日の「経済の基本的な仕組みにとっても、市場の外側は重要だ」の部分は、説得的だと思う。医療や教育までも市場化した結果が、ニッポンが一生懸命に見習おうとしているアメリカの惨状なんだろうな。
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by sarutasensei | 2008-02-06 21:34 | 読んだ本