アカコの備忘録。


by sarutasensei
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f0091834_17175988.jpg●齋藤一『帝国日本の英文学』(人文書院)

※特に第四章「日本の『闇の奥』」に期待してたんだけどな。まあ、前半はおもしろく読んだんだけど。1940年に中野好夫がコンラッドの『闇の奥』を翻訳出版したことに対して、「西洋植民地主義批判のテクストを日本植民地主義批判として読みかえることを可能にするヒントを与えていた」(p.108)と解釈する箇所(ここがこの論文のポイントなのだ)は、同意できない。
 齋藤は、その根拠として、中野が採用した「恭順蛮人」という言葉に着目し、それが霧社事件や日本の植民地統治を想起するはずだ、という。それではコトの半分しか言い当ててはいないし、「この言葉の使用は結局のところ、当時の国策に合致したものではなかった」(p.117)に至っては、???てな感じ。

 たしかに「蛮人」「蕃人」というターム(「蕃人」が普通だろうけど)、は、戦前の日本では、台湾の原住民を指すことがほとんどだろうし、霧社事件が衝撃的な事件だったのはまちがいない。だけど、1940年の時点では、霧社事件で蜂起した原住民の後裔は、なおのこと「恭順」の意を表明せざるを得ないほど、植民地統治は「完成」されていた。また、霧社事件を引き起こしたタイヤル族だけでなく、30年代には、ブヌン族の「兇蕃」が「帰順」し、「恭順」の態度を明らかにしていた。こんなニュースは、総督府の『理蕃の友』を眺めれば、いくつも出てくる。
 高砂義勇隊の南洋派遣はまだ行われていないものの、日中戦争に「軍夫」として「血書志願」するという「美談」も、竹内清の『事変と台湾人』なんかを見れば、ちゃあんと掲載されている。
 つまり1940年に中野が『闇の奥』を翻訳した時点では、「恭順蛮人」という言葉は、齋藤が言うように霧社事件そのものを想起させるというよりは、「その後」の統治の「成功」を示すものとしてストレートに受け止められた、と考える方が、「状況証拠」からすれば、よほど「自然」なはず。
 おそらく齋藤は、台湾における「恭順蛮人」ということばが喚起するイメージではなく、日本「内地」のそれを読みときたいのだろうが、これまで述べたようなことを押さえておくことは、最低限不可欠の作業だと思うけど。

 それにしても、いくら英文学が専門とはいえ、『理蕃の友』みたいに簡単に入手できる基本文献も使っていないなんて、ちょっとマズイんでないの?
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by sarutasensei | 2006-08-17 22:50 | 読んだ本

猿の惑星。

f0091834_22285641.jpg●鵜飼哲『償いのアルケオロジー』(河出書房新社)

※この本に収録された最後の論文「受難について-歴史修正主義をめぐって」が書かれたのが、1997年。
 鵜飼はこの時点で、日本社会に広がりつつあった歴史修正主義に対して「暗澹たる気持ち」を抱き、「日本は恥の文化でさえない、恥知らずの文化、無恥の文化と言うほかないところに転落しつつあると言われても仕方のないところにきているのではないか」(pp.166~167)と危惧していた。
 およそ10年後の今日、無恥と無知こそが、日本文化の「伝統」として定着したんだね。まあ、「伝統」なんてものは創造されたもの、簡単にいえばデッチアゲられたものなんだから、それでよいんでないの。メデタシメデタシっと。
 もう一点、印象的な箇所として、永山則夫に触れた「あとがき」がある。
永山の死を、一九歳のときに彼が犯した罪ー四件の殺人-に対する「当然の償い」であると考える人は多い。その人々は、しかし、かつて中国東北部で七三一部隊の一員として生体実験にかかわった日本人医師が、今、「人道に反する罪」で裁かれ、場合によっては死刑を宣告されるとしたら、それもまた「当然の償い」であると言うだろうか。日本という社会を知る者として、私は、その可能性は小さいと思う。この国の「国民」は、国家の名による殺人に対し、個人的動機による殺人よりもはるかに寛容であるのがつねである。それはなぜか。(pp.185~186)
 
 昨日の靖国をめぐる一連の事態や、それをめぐる報道ほど、この国の「国民」の無残なまでの無恥ぶりを、世界にむけて「発信」した例は、稀なのではないか。
 「反省だけなら猿でもできる」らしいけど、「愛国者」の皆様のご努力によって、われら「臣民」は、猿以下であることが証明されたわけですね。前にもちらっと書いたけど、「怎么样的人民就有怎么样的政府。」って、本当に名言ですね。メデタシメデタシっと。
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by sarutasensei | 2006-08-16 16:31 | 読んだ本
まあ、そういうことです。シンデモナオラヌバカモアル、って続くんだね。
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by sarutasensei | 2006-08-15 23:19 | 筆記

明日から入院。

 とはいってもアカコではなく同居人が。前々から8月の中頃、夏休みに入ったら、と、決まっていた。明日入院して、あさってが手術。退院は今週末ぐらいになる予定。
 アカコもずっと病院に泊まり込み。家から40分ぐらいのところにある病院だから、たまには荷物を取りに戻ってくるけれど。
 アカコもパソコンで論文やってる気分ではないだろうし、重たい本(物理的にも、精神的にも)もしんどそうだから、『天才バカボン』とか『もーれつア太郎』などのバカマンガを、ごっそり持っていくことにする。楳図かずおも好きだけど、病院向きじゃないしなあ。そうそう、チェーホフなんて、ちょうどいいかも。
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by sarutasensei | 2006-08-14 21:39 | 筆記

やっぱ好きやねん。

f0091834_211443.jpg●アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフ『チェーホフ・ユモレスカ』(新潮社)

※高校の図書室にあった中央公論社版のチェーホフ全集で、「脾臓なき男」などの奇妙なペンネームを使った初期の掌編を読んでからというもの、チェーホフはアカコにとっては大好きな作家のひとりになった。今回すごく久しぶりに短篇小説を読んだけど、やっぱりおもしろかったよ。夏休みだし、また読み直してみるかなあ。
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by sarutasensei | 2006-08-14 21:20 | 読んだ本

60年たっても。

●8・15靖国行動の報告・資料集を編集する会『ジャミラよ、朝はまだ来ない』

※1993年から2002年までの、反靖国行動の記録集。一年ぐらい前に、模索舎から通販で購入したのをようやく読んだ。8月15日に、靖国神社で播かれたビラや声明文が収録されている。
 
「死者」の不在によって生者を脅迫する仕組みによって戦争動員を果たしてきた神社、靖国は、したがって決して一人の死者と向き合おうとする弔いの場ではあり得ない。靖国に死者を祀ることは、死者を二四六万人の死と数えることだ。そこではあらゆる死者の固有性は引き剥がされ、公的な貢献へのインデックスとして利用されるしかない。(中略)
黙祷とは、弔いをなしえない者たちの偽装なのだ。弔いを偽装する者たちは誰一人として死者の名を呼ぶことができない。彼らは弔いによって引き裂かれる記憶と非記憶を持ちはしない。靖国の正午の黙祷は、共約不能な死者をまとめ上げ、死人に口なしをよいことに、問われるべきすべての責任、誰が殺したのか、なぜ殺したのか、を問うことを許さないのだ。(山口素明「黙祷の政治力」p.5)

 (前略)その中でも反動の確信犯といえるのが8月15日の靖国神社だろう。未だに「英霊」を奉ってるんだぜ!アジアに対する侵略戦争の加害者たちの、犬死にに等しいその死に対し、その死を強制した国家が意味を与え、死してなお天皇制国家のために利用し続ける…(戦闘的ゴジラ主義者「8・15靖国爆竹決起報告」p.39) 
 
 まったくその通りだと思う。NHKの朝の連ドラ(同居人が見てるので、耳に入ってくるのだ)では、主人公の婚約者が中国に戦争に行ってるらしいけど、彼がそこで何をしたのか、何をさせられたのかなどは、全然語られていないみたいだね。タツヒコさんだって、中国で非戦闘員を虐殺したり、村を焼き払ったり、「慰安所」に並んだりしたのかもしれないけれど、朝ドラではそんな場面は放送しないんだろうし。

 でもこれはNHKだけの問題ではない。多くのニッポンジンにとって、せいぜい空襲と空腹、それに原爆や引き揚げ体験を適当にブレンドしさえすれば、「悲惨な戦争体験」ができあがるのだ。
 中国や韓国から、靖国や教科書問題で批判されると、不当な内政干渉でもあるかのように居丈高になる国民のみなさんにとって、厭戦意識なんてせいぜいこの程度のものなのだ。自分を加害者にしたてあげた責任者を、徹底的に追求することなど思いも及ばず、戦後60年経っても、いまだに嬉々として臣民であり続けているのだから。

 ところで昨日、韓国の国会議員が何人か靖国神社にやって来たらしく、靖国誤字(もとい護持)派が、ブログで抗議行動の様子を写真入りで報告している。それにしてもこのブログ(汚らわしいのでリンクは張らない)、日本語の使い方ヘンなんだよね。
 「初代総代徳川義親侯、名誉総代福田赳夫元総理に活動を開始し」とか、「文章力を向上したいので添削、ご指導大歓迎」だって。ケケケ。謙虚なのはいいけれど、こんな短い文も、まともに書けないんでやんの。
 彼らにとって、日本語ってニッポンジンの「精神的血液」なんじゃなかったの?憂国の思いにあふれるウヨクの方々が、奇妙な日本語を使って、恥ずかしくないんだろうか?
 こういった連中に対しては、「美しい日本語を汚す国賊め、恥を知れ!」とおちょくってやればいいんだよ。「美しい日本語」「正しい日本語」なんて言い方は、寒気がするほど気持悪いけど、ダブルスタンダードだろうがなんだろうが、この際知ったことじゃない。
 それにしても、ブログに載っている写真を見ると、靖国誤字派の人たちって、警察と仲良さそうだなあ。警察も、反靖国の人たちにはやりたい放題の暴力を振るっているけど、全く対応が違うんだね。まあ、奴らはもともとグルなんだから、不思議ではないけれど。
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by sarutasensei | 2006-08-13 17:57 | 読んだ本

見つからない。

●『ローソン短篇集』(岩波文庫)
●伊藤整『小説の方法』(岩波文庫)
●伊藤整『鳴海仙吉』(岩波文庫)
●遠藤光暁『中国語のエッセンス』(白帝社)

※本を探してハシゴをしても目的の本は見つからない。amazonで注文した方が早かった…

 『岩波講座 アジア・太平洋戦争』を毎日1本ずつ読みたい、と書いたけど、今日は土曜日で夏休みではないことにする。こんなことでは先が思いやられるなあ。
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by sarutasensei | 2006-08-12 22:43 | 買った本

夏休みの計画。

 今日が満洲文学と「狂人日記」についてのレポートの締切り日。これの採点が終われば、やっと夏休みだ。ふぅ~。今年は例年より一週間ぐらい長く授業をしていた気がするよ。

 子どもの頃から、いろいろな計画を立てるのは好きだった。綿密に計画をたてると、それだけで満足してしまい、ほとんど実行はできなかったけれども。というわけで、今年の夏休みにやりたいこと、やらなければならないことをピックアップ。

①論文を2本書く。
 こればっかりは避けて通れない最優先の課題。1本目は9月30日、2本目は10月10日が締切り。どちらも、この秋に台湾のシンポジウムで発表する原稿。9月末締切りの論文を、どれだけ早く仕上げられるかがポイント。できれば8月中に、最初のを完成させて、9月はもう一本に集中したいんだけれど、そんなふうにうまくいくか?

②『岩波講座 アジア・太平洋戦争』全8巻を読む。
 刊行されるたびに買うだけ買っておきながら、全然読んでない。目標として毎日1本ずつ論文を読みたいのだけれど、さて、根気が続くか?

③北海道に行く。
 同居人のマイレージがたまったので、国内線往復のチケットに引き替えることに。「お供」も格安で利用できるらしい。とはいえこれは9月末日までのサービス。なんとか論文を早めに片付けないと。アカコは仙台より北には行ったことがないから、北海道、行きたいなあ。

④台湾に行く。
 秋のシンポジウムの前に、ちょろっと資料を探しに行きたい。それにアカコは台湾ではプリペイド式の携帯を使っているんだけれど、半年に一回チャージしなければならない。最後に更新したのが4月3日だから、やっぱり9月中には台湾に行きたい。この春に、携帯そのものを使いやすい機種に変えたばっかりだしなあ。それにしても時間はあるのか?

 計画だけならいくらでも書けるけど、さて、どうなることやら。これが全部達成できたら、アカコの夏休み史上、最高に充実したものになるのは間違いないんだけどな。でも、休みとはいえ、大学院の入試があったり、学科改組の会議が入ったりして、なんやかんやで学校には行かなければならないらしい。チェッ!
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by sarutasensei | 2006-08-11 21:37 | 筆記

無題。

●大門正克『昭和史論争を問う-歴史を叙述することの可能性』(日本経済評論社)
●有馬頼義『兵隊やくざ』(光人NF文庫)
●小泉義之『「負け組」の哲学』(人文書院)

※最初の1冊は大学生協で買う。そういや亀井勝一郎の『現代史の課題』読みかけでほったらかしたまま。
 あとの2冊はスーパーの横の本屋で購入。岩波は全然置いてないくせに、人文書院の本が妙に充実している変な本屋。
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by sarutasensei | 2006-08-11 21:32 | 買った本

すんごい「駄作」。

f0091834_23465944.jpg●小林悟・邵羅輝『沖縄怪談逆吊り幽霊 支那怪談死棺破り』

※S劇場で。1962年の日華合作映画。タイトルからすれば2本立てみたいだけど、入れ子式になっている1つのオハナシ。B級映画だと分かって見に行ったんだけど、期待をはるかに上回る馬鹿馬鹿しさで、ぐったり疲れた。これで1000円は高いなあ。
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by sarutasensei | 2006-08-10 23:50 | 見た映画(など)