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アカコの備忘録。


by sarutasensei
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読みごたえあり。

読みごたえあり。_f0091834_2113215.jpg●道場親信『抵抗の同時代史-軍事化とネオリベラリズムに抗して』(人文書院)

※防衛大臣だった久間章生の「原爆投下はしょうがない」発言(2007年6月)を、昭和天皇の「原爆投下はやむを得ない」発言(1975年10月)との関連で論じた「戦後史の中の核」には、教わる点がとりわけ多かった。
 「唯一の被爆国」という表象が、「被爆者の身体と国家とを貼り合わせて被爆者の経験を領有する」ものであるということと、
そうした表象が成立することで、被爆に至る戦争とその責任や、責任を逃れたかつての「元首」が原爆投下を承認している事実や、そうすることで「日米同盟」が成立している現実が消去される回路となってしまう。また、核実験にさらされたミクロネシアの人々やアトミック・ソルジャー、多様な核被害者との関わりも分断され不可視化されることになる。(p.86)
という指摘はとても重要だと思う。

 あと、「犠牲者」と「被害者」の違いを論じた以下の箇所も印象的。
 この戦没者観、すなわち戦没者を「犠牲者」ととらえる思想のうちには、戦没者が国家のために「犠牲」となったことが、今日の「平和」や「繁栄」の「礎」となっている、という考えが含まれている。田中はこの「犠牲」ということばがもつ独特の効果に注意を促している。それは一方で「国のための犠牲」という言明を通じて国家に対する請求権を正当化する。だが他方、国家の行為による「被害者」ではなく、国のための「犠牲者」として表象するとき、国家の行為も、その国家の行為に身を投じた個々の兵士や国民たちの行為も、すべてその責任は問われることなく、「感謝」されるべき「犠牲」行為のみが美化されて残ることになる。
(p.107)

by sarutasensei | 2008-08-16 21:30 | 読んだ本