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アカコの備忘録。


by sarutasensei
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法廷に立つ言語。

法廷に立つ言語。_f0091834_21434838.jpg●仲里効『オキナワ、イメージの縁(エッジ)』(未来社)

※おもしろいです、この本。1972年の沖縄「復帰」前後に制作された12本の映像を軸に、「日本復帰」を問いただしたもの。特に第3章の「言葉が法廷に立つ時」が、サイコー!

 1971年の「沖縄国会」の衆議院本会議場で、沖縄返還協定粉砕を叫び、爆竹を鳴らした「沖縄青年同盟」のメンバーは、彼らを裁く法廷で、「沖縄語」によって発言を行う。
 パニクった裁判長は思わず「日本語で答えなさい」と命令する。裁判長によって、「沖縄語は日本語ではないと規定」されてしまったのだ。日本語ならぬ沖縄語を話す沖縄人を、日本国民として回収しようとしたのが沖縄「返還」で、それとセットになっているのが、日本「復帰」運動っていうわけ。

 国語は日本人の精神的血液。だから「正しい国語」を使用して、「立派なニッポンジン」になりませう、ってなヨタ話が、植民地の台湾(や沖縄)でマジメに唱えられ、圧倒的な強制力を持っていたのは、たった60年ちょっと前のこと。
 そして今なお、この「美しい国」では、日本語がブームなのだそうだ。どーぞ、立派なコクミンの皆さんは、せいぜいウツクシイコクゴに磨きをかけてちょーだいな。

 川満信一のこんな文章が印象に残った。
 唯一の国内戦場として、集団自決や学徒動員されたものたちの玉砕をはじめ、ほとんど極限的なかたちで天皇(制)思想にうら切られた沖縄の民衆は、どうして性こりもなく、かつて天皇(制)イデオロギーに吸引されたのと同じ心的位相で本土を志向し続けるのだろうか。
 復帰協の運動のなかで、人々が「本土」というとき、それは「国家」や、あるいはかつての天皇(制)絶対主義に基づく「国体」といった概念乃至イメージと厳密には見分け難いものとなっている。(川満、p.209)
 写真家、中平卓馬のこんな言葉も。
 この「琉球処分」がけっして一九七二年五月十五日で終わったのではなく、今、現在、われわれによって無意識裏において、この「琉球処分」は行われつつある(p.240)。
 
法廷に立つ言語。_f0091834_2144128.jpg 仲里の「言葉が法廷に立つ時」という表題で思い出したのが、学生時代のアカコの数多きバイブルの一冊、田中克彦の『法廷にたつ言語』(恒文社)。
 表題作の「法廷にたつ言語」は、九州電力火力発電所の建設に反対して中津の住民が起こした訴訟において、裁判長の「原告に再び注意します。…方言での発言は、理解を混乱させますから、標準語でしゃべってください」っていう発言(p.142)を紹介している。

 こんな文章を読むにつけ、ますます「ウツクシイニホンゴ」なんて、茶化して、馬鹿にして、踏みつけてやらねば、と堅く誓うアカコなのでした。
by sarutasensei | 2007-05-09 21:51 | 読んだ本