アカコの備忘録。


by sarutasensei
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猿の惑星。

f0091834_22285641.jpg●鵜飼哲『償いのアルケオロジー』(河出書房新社)

※この本に収録された最後の論文「受難について-歴史修正主義をめぐって」が書かれたのが、1997年。
 鵜飼はこの時点で、日本社会に広がりつつあった歴史修正主義に対して「暗澹たる気持ち」を抱き、「日本は恥の文化でさえない、恥知らずの文化、無恥の文化と言うほかないところに転落しつつあると言われても仕方のないところにきているのではないか」(pp.166~167)と危惧していた。
 およそ10年後の今日、無恥と無知こそが、日本文化の「伝統」として定着したんだね。まあ、「伝統」なんてものは創造されたもの、簡単にいえばデッチアゲられたものなんだから、それでよいんでないの。メデタシメデタシっと。
 もう一点、印象的な箇所として、永山則夫に触れた「あとがき」がある。
永山の死を、一九歳のときに彼が犯した罪ー四件の殺人-に対する「当然の償い」であると考える人は多い。その人々は、しかし、かつて中国東北部で七三一部隊の一員として生体実験にかかわった日本人医師が、今、「人道に反する罪」で裁かれ、場合によっては死刑を宣告されるとしたら、それもまた「当然の償い」であると言うだろうか。日本という社会を知る者として、私は、その可能性は小さいと思う。この国の「国民」は、国家の名による殺人に対し、個人的動機による殺人よりもはるかに寛容であるのがつねである。それはなぜか。(pp.185~186)
 
 昨日の靖国をめぐる一連の事態や、それをめぐる報道ほど、この国の「国民」の無残なまでの無恥ぶりを、世界にむけて「発信」した例は、稀なのではないか。
 「反省だけなら猿でもできる」らしいけど、「愛国者」の皆様のご努力によって、われら「臣民」は、猿以下であることが証明されたわけですね。前にもちらっと書いたけど、「怎么样的人民就有怎么样的政府。」って、本当に名言ですね。メデタシメデタシっと。
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by sarutasensei | 2006-08-16 16:31 | 読んだ本