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アカコの備忘録。


by sarutasensei
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メモ。

メモ。_f0091834_12555515.jpg●ノーマ・フィールド『祖母のくに』(みすず書房)

 日本人は戦争にたいする「被害者意識」をしばしば批判されるが、記念行事はもっと厳密には被害者〔victim〕を殉教者に、つまりおのれを犠牲〔sacrifice〕として捧げた英雄に変容させる。(日本語では「被害者」と「犠牲者」のちがいである。)たとえばあの忘れがたい一九九三年八月一五日、細川首相は「尊い犠牲」という言い方をしている。式辞のこれよりもまえの個所で、彼は「戦争犠牲者」のなかに「アジア近隣諸国」および「全世界」の人びとをはじめて含めるという、大きな一歩を踏み出したことは確かだが、「尊い」犠牲というのが日本人を指しているのは明白だった。(中略)
 これらの死はなんのためであったか、何がそのために死ぬ価値のある大義として含意されているのか。「おクニのため」というのがひとつの自明な答えだが、この場合の「クニ」の曖昧さは暗黙のうちに、しかし確実に、戦前の国家とそれがおこなった「聖戦」を呼びおこす。しかし明示的に呼びおこされる国は、「平和と繁栄」を体現する国である。ふたたび一九九三年八月一五日を引きあいに出すと、その日の天皇、細川首相、土井衆議院議長のいずれの挨拶にも、これらの言葉がしばしばあらわれる-いわく、平和、発展、あるいは繁栄。犠牲の死と、平和と繁栄とのあいだの関連は特定化されていないから、聴き手は自分のいちばん切実な解釈願望にしたがって勝手に関連づけることができる。もっとも保守的で事実上伝統化している解釈、そして追悼式参列者の大多数がもっともなじんでいるものは、戦争中の苦難と犠牲を今日の平和と繁栄の原因と見る解釈である。首相就任後初の所信表明演説での細川の表現によれば、「わが国が享受している繁栄と平和は…先の大戦での尊い犠牲の上に築かれたものであります」
 平和と繁栄の修辞法はそのうえさらに、この繁栄の暴力的な歴史的起源、すなわち朝鮮戦争とヴェトナム戦争を、見えなくさせるのに役立っている。(中略)平和のなかでの日常生活の再建は、そこで平和が安全として理解され、おのれ自身の日常生活を再建する自由を提供するものとして理解されている場合、ほかの人の犠牲によってその再建がすすむとしても、原則としてそういう他者への配慮を必要とみなさず、(後略)(pp.146-148) 

by sarutasensei | 2010-05-05 12:52 | 読んだ本