占領と反開発、蔑視される生き残り。
2010年 01月 06日
授業は始まったのに、寝正月の生活リズムが元に戻らず、家に帰れば寝てばかりの日々。さすがに論文の校正は終わらせたけど、机に向かってオベンキョするまでには気力・体力とも回復せず。
というわけで、横になったまま読んだ本。
●サラ・ロイ『ホロコーストからガザへ-パレスチナの政治経済学』(青土社)
とりわけ徐京植との対話「〈新しい普遍性〉を求めて」がよかった。例えばサラ・ロイのこんな発言。
というわけで、横になったまま読んだ本。
●サラ・ロイ『ホロコーストからガザへ-パレスチナの政治経済学』(青土社)
反開発とは、強大な力でもって、意図的かつ計画的に既存の経済を破壊することであり、それは低開発が歪んだかたちであれ一定の経済発展を許容しているのとは対照的であり、質的に異なる。(p.26)
とりわけ徐京植との対話「〈新しい普遍性〉を求めて」がよかった。例えばサラ・ロイのこんな発言。
たしかにホロコーストが、イスラエル国家の行為を正当化するために利用されてきたのは事実です。まだ私が幼い頃や若い頃には、イスラエルにいる友人らからホロコーストについて何か聞くことなどめったにありませんでしたし、ときに耳にすることがあったとしても、ホロコーストの犠牲者や生き残りの人びとは蔑視の対象にされていました。彼らは弱くて、無抵抗で、殺されるがままにされていたとみなされていて、社会の恥と言われていたのです。もちろんホロコーストの生き残りの子どもとして私はそのような考え方などまったく共有などできませんでしたので、こうした言い方にはたいへんに困惑させられました。しかも、そのホロコーストが、イスラエル国家がパレスチナ人を弾圧する政策を正当化するのに利用されるようになっていくわけです。このような矛盾したホロコースト利用、あるいはホロコーストの見方は、私にとってはたいへんに攻撃的なものに思えました。同じ事柄について考え方や感じ方が人それぞれなのは当然でしょう。ところが、大半のユダヤ人が、マジョリティと言ってもいいと思いますが、ひじょうに強固に、一方でホロコーストをユダヤ人国家の必要性を正当化すると同時に、他方で戦後のイスラエルでは犠牲者や生き残りを侮蔑してきたわけです。(pp.244-245)
by sarutasensei
| 2010-01-06 23:19
| 読んだ本