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アカコの備忘録。


by sarutasensei
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ホロコーストとシニシズム。

先日読んだ岡真理の『アラブ、祈りとしての文学』のなかに、こんなことが書かれていた。
 ホロコーストを体験したユダヤ人がなぜパレスチナ人に同じことを繰り返すのか、という問いをよく聞く。パレスチナ人がパレスチナから物理的に排除し、そこに「ユダヤ人国家」を建設するというシオニズムの思想は、歴史的にホロコーストに先んじて存在していた。シオニズムにおいては当初より、パレスチナ人に対してユダヤ人と対等な人間性がそもそも否定されていたのであり、パレスチナ人の人間性の否定の上に建国されたイスラエルがユダヤ人国家維持のためにパレスチナ人に対して行使する暴力において、パレスチナ人の人間性が顧みられないのは、実はきわめて当然のことなのだ。だとすれば、先の問いは、ホロコーストというレイシズムによる悲劇の経験を、私たちはいかにして、イスラエルのユダヤ人がパレスチナ人に対するレイシズムを克服する契機となしうるか、と言い直されるべきかもしれない。
 ホロコーストはそれを体験した人間たちに何を教えたのか?ホロコーストという出来事とは、実は人間とは他者の命全般に対して限りなく無関心である、という身も蓋もない事実を、言い換えれば「人間の命の大切さ」などという普遍的な命題がいかにおためごかしかということを否定しがたいまでに証明してしまった出来事ではないのだろうか。それはかつて起こったのだから、また起こるかもしれない。人間にとって他者の命などどうでもよいのだから。そのことをとりかえしのつかない形で体験してしまった者たちにとって、同じことが二度と繰り返されないためには、人間の命の大切さなどという普遍的命題をおめでたく信じることではなく、それがいかに虚構であるかを肝に銘じることのほうがはるかに現実的と思われたとしてなんの不思議があろう。(中略)
 死者の統計数値から炙り出される彼らのシニシズムは、彼らの振る舞いが、ホロコーストを経験したユダヤ人「にもかかわらず」ではなく、むしろホロコーストを経験したユダヤ人「だからこそ」なのだということを物語っているように思えてならない。シオニズムはナチズム同様、他者に対するレイシズムを分有しているが、イスラエルによるパレスチナ人迫害がホロコーストと決定的に異なるのは、その根底に、世界に対するこのシニシズムがあることだ。(pp.30-31)

by sarutasensei | 2009-01-07 20:06 | 筆記